ラクダの教訓

ある日、色々な動物たちからなる顔のイラストを見せてもらった。象や鯨、バッタ、熊などからなる騙し絵の中にラクダがいるらしい。 数分…よく分からない…他の動物に目がいきラクダを見つけることができない。数分後…教えてもらいやっと分かった。 見つけると、そのラクダがよく見える…絵を見ると他の動物よりもすぐにそこに目がいくようになった。
数ヶ月後…作業中いきなりこの絵のことを思い出す。不思議に感じ、自分の状態を少し分析してみることにする。いいようもない猛烈な不安感?コロナ過の先の見えない…更にこんなことをやっていても大丈夫だろうかという強烈なストレスの中ここでこれを思い出すのは何だろう? これは何かがあるはずだと思い、ラクダの絵を見せられた情景を思い出す。
顔は前に進もうとする意思を表現し、この動物たちを問題の象徴としてとらえてみる。
問題は多々ある。それは象のような、鯨のような、バッタのような、熊に象徴されるものかもしれない。ラクダもいるかも知れない。しかしラクダがいることを伝えられ、ラクダがいるかもしれないと思うと、探し回り見つけるまで止めることができない。問題がどこかに隠れていると思っている間、不安感によって立ち往生ししまう先に進むことよりも、それを探し回り時間を費やすことは必要なのか?
また顔はバラバラに独立していて、自分の意志では操作できそうにない、ストレスや気分によってどこかに不機嫌が表れてしまうかもしれないので、内面の機嫌の状態に気をつけなければ。
これをラクダの教訓として思い出すことだろうな?
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